産みの親に会いたい。
昭和33年4月10日に都立墨田産院で生まれ、その時に取り違えられました。
一度は諦めかけましたが、やはりどうしても産みの親がどんな人なのか確かめてみたい。
その思いから、当サイトを立ち上げました。
どんな些細なことでも構いませんので情報をお待ちしております。
同じ誕生日の方、自分と同じように取り違えられているかもしれません。
更新は主にブログで行います。
昭和33年4月10日に都立墨田産院で生まれ、その時に取り違えられました。
一度は諦めかけましたが、やはりどうしても産みの親がどんな人なのか確かめてみたい。
その思いから、当サイトを立ち上げました。
どんな些細なことでも構いませんので情報をお待ちしております。
同じ誕生日の方、自分と同じように取り違えられているかもしれません。
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昭和33年4月10日生まれ。
幼少の頃から親族から「おまえは誰にも似てないね」とは言われてきましたが、その時はあまり気にせず過ごしていた。
以前から、自分の血液型はAで父はO型であるのは知っていたが、病院嫌いの母親は血液検査をしたことが無く、自分が大人になるまでわからないままだった。
しかし、1997年10月頃、母が体調を崩し入院することに。そこで初めて血液検査を行うことになった。
A型の自分と、O型の父。母の血液型はきっとA型かO型であろうと思っていた。
検査結果を見て誰もが驚いた。母の血液型がB型。予想もしてない答えだった。
そこから色々な人に相談した。ある新聞では「O型とB型との間で遺伝子の変化が起こりA型が生まれる可能性がある」という記事も見つけ、きっとこの可能性に当てはまってしまったと思っていた。
この時点でも他人であるという疑いは全く持っていなかった。
月日が経ち、2004年5月にある法医学の教授と知り合い、ぜひ調べてみたいという事となり、家族全員のDNA鑑定をすることになった。
そして採血から2週間後に結果が。
教授からの答えが、「あなたにはお父さんとお母さんの血は一滴も流れてない。」と。
あまりにも衝撃的だった。
可能性としては生まれたときの病院での取り違えしか無いだろうと言うことになった。
そこから、自分の真相を知りたく、東京都に問い合わせをした。しかし、自分が生まれた東京都立墨田産院は既に無く(1988年に閉鎖)、当時の資料も何も残ってないのでわからないと言う回答のみ。
その後弁護士に相談。本来は時効であるが、DNA鑑定を行ってから発覚したというこで損害賠償という選択肢しか無かったが、これを行うことにより真の両親に会える期待をもちながら、2004年10月に損害賠償額は3億円で裁判を行った。一審では、取り違えが認められたが、損害賠償については時効。直ちに控訴し高裁に舞台を移すことにした。
それと同時に自分自身でも出来ることとして、該当する家に訪問することにした。当時は住民基本台帳を参照する事ができ、墨田区の人口約40万人の中から昭和33年4月生まれを抽出。人数は約80人。
毎週末には1軒1軒訪問した。約60人の方とはお会いすることが出来た。しかしその中には真の両親はいなかった。次に江東区の住民基本台帳を確認しようとしたが既に見ることができなくなっていた。
そして2006年10月、高等裁判所まで行った裁判では勝訴し、東京都が2000万円の損害賠償を支払うように命じられた。しかし、その後東京都に問い合わせをしても、損害賠償で解決済みと言うことでその後の対応は無かった。
その後は諦めかけていた真の家族に会いたいという気持ち。やっぱり諦める事が出来なかい。自分の本当の両親がどんな方なのか?兄弟がいるとしたらどんな方なのか?
そこでこのページを立ち上げました。